今から11年前の夏、20年ぶりに川合健二氏を訪ねたときの記録がある。
2回目の訪問だったが、この時、昔から気になっていた彼の愛した車(厳密にはエンジンだが)の写真を撮り、感じていた疑問を彼に質問して、後からこのレポートを書いた。数年後に彼が逝ってしまったため、川合健二氏の車については最初で最後のレポートになってしまった。もうそのほとんどが土に還っていったであろうと思われるが、また近いうちに私は「彼の場所」を訪れなくてはならない。
レポートは当時のまま修正せずに紹介することにした。
お茶の水博士のポルシェ912
青々と波のようにうねる夏草の中に、腐りかけた912がまるで浮かんでいるように見える。暑さで目が眩みそうな午後の日差しの下、20年の時間の隔たりが重くのしかかる。20年前、同じこの場所に立って、同じ912を24歳の自分が眺めていた。
美しいガレージで綺麗に整備されたポルシェを見る機会は、356クラブに入れたおかげで、何度も経験することができた。レストアを必要として、くたびれたボディーをガレージに任せている車も、何台も見てきた。しかし、オーナーの意図で露天に置かれ、土に還ろうとしているポルシェは、私は、1台しか知らない。
愛知県の東海道線二川駅。海岸に山が迫る丘の上に異様な楕円の鉄の家が置かれている。主は鉄腕アトムの育ての親、お茶の水博士のような風貌をした建築エンジニア、川合健二氏である。川合さんは自分が愛した車、ポルシェ912が自らの意志で土に風化していくのを20年以上見続けている。
他にもオーバルウインドーのVWビートルやスバル、それにベンツのウニモグまでもが仕事を全うし、鉄の家の番犬のように家の回りに座っている。足元は風化が進み、赤錆たボディが土になりはじめている。
912のドアはすでに開かないが、ガラス越しにシートを突き抜けて繁茂する夏草が見える。不思議な光景である。ヘッドレストのついた356と変わらない見慣れたシートが、タイムスリップにでもあったかのように朽ちて、苔蒸している。夏の日差しに、クロームのドアミラーだけが錆びずに異様に光る。白いボディーには動物の斑点のように錆びが浮き出して穴が開き始めている。このポルシェの年式など川合氏は語ってくれないが、外観から推測できるのは、1966年まで使われていた丸い書体のエンブレムがエンジンフッドの右下に斜めに取付けられていることと、ワイパーが右止りである点から、65〜66年の912と思われる。
私が、20年前に同じ位置で撮影した912の写真は2枚しかないが、写真の中の912にはナンバープレートも付き、錆びもない。いつのころから動かなくなっただろうか。実は20年間まったく動いていない。川合氏は免許を持たない。奥様が運転をする。この二川に1,800坪の土地を探すのに日本中をVWで走り回り、この丘でビートルは息絶えた。鉄の家ができて、新たに加わった912を奥様は買い物用に使っていたらしいが、田舎でしかも女性が乗るのは気恥ずかしいというリクエストで後任に軽のスバルがやってきた。
川合氏は、1913年、愛知県豊橋市で生まれ、1936年関西学院高等商業学校卒業。菊正宗、武田薬品に終戦まで勤める。戦後、電力不足で各地でダムづくりが進められたが、コンクリートの凝固過程で発生する熱を冷やすために、中部電力井川ダムで川合氏の提案により大きな冷凍機を用いたことなどから、1958年、東京都庁舎の空調設備提案を丹下健三氏より依頼される。以後、香川県庁、図書印刷原町工場、駿府会館、大阪新朝日ビルなどの空調計画に携わった。これらの仕事の過程で、海外の優れた冷凍機やボイラーを導入し研究。その後の日本製吸収式冷凍機及びボイラーの基本をつくる役割を果す。1965〜68年には、スチームタービンによるトータルエネルギー装置の設計、1971年にはディーゼルエンジンによるトータルエネルギータワープラントを設計。1974年には、科学技術庁の派遣で有機廃棄物資源化装置(バイオマス)のヨーロッパ視察団長、朝日新聞南極建築委員会委員、学術会議南極建築委員会委員などをつとめる。その後10数年、バッテリーの研究を続けてきた。
25年ほど前、川合氏は技術者としてあまりにも正統なポリシー故に、東京のなれ合いの近代主義者たちの枠から異端としてはみだした。田舎に出て自らの手で己を支え、独創的なアイデアを確保できる生活を得る。自給自足を目指した川合氏は1,800坪の土地を坪500円で購入。家の材料になっているコルゲートパイプは、鉄板に波を打たせて断面係数を増やし、強度をつけてある。これに亜鉛引きをして100年間もつ家をつくった。鉄の値段は1トン10万円程であまり価格変動しない。川合氏は総量10トンで100万円ほど支払い、新日鉄からこの家の素材を購入。3日で組み上げた。幅12m高さ6m長さ11mの長円形シリンダー型のパイプのような家は、砂利の上に置かれ基礎はない。すでに30年経つが、1度もメインテナンスしていない。この家の生活器具はすべて外国製だ。「この国ではまだ本物の人間のためにいろいろとつくしてくれる機械を得るのはむずかしい。買えば結局損をする。皆はもっと物を知って、自分の生活を本当の意味で守らなければいけない。」と川合氏は言う。手数の少ない夫婦2人の生活をベンツのウニモグは助け、1,800坪を開墾し、ほとんどの穀類や野菜、果物を栽培している。
川合氏は車が嫌いだ。エンジンが好きなのだ。4気筒のポルシェ・エンジンを、シンプルで壊れにくく、すばらしいエンジンだという。6気筒は性能は上がったが機械としては複雑になりすぎて嫌いだそうだ。912の616/36エンジンは何度もボディーから下ろされ、分解されたらしい。科学者の興味で研究材料として川合家にやってきた中古の912は(8,000km走ったものを220万円で購入)、ワインディングやハイウエイをおもいっきり走ることなく、「住宅用エンジン」という自家発電装置の研究と引替にその使命を終えようとしている。訪れる方から「引き取りたい」とか、「部品取りしたい」とのリクエストがあったらしいが、川合氏はすべて断り、鉄として大地から取り出されたように、地中に埋めて再び鉄として大地に戻してあげるつもりである。自分が愛し、共に生活した道具たちに囲まれて自らも一緒に土になるんだと笑う。
80歳をこえた川合氏。今回20年ぶりに訪れて驚いたのは、記憶力というよりも執念に近いところで数字や年代を正確に話されることだ。ご自身のやりとげてこられた仕事が、多くの企業に奪い取られ、開発や研究のリーダーとしての名誉も剥奪され、存在すら無視されてしまったことへの怒りが、自分の存在をいつまでも確実に保持できるよう確認の意味も含めて、あれだけ正確なデータをどんな時でも自ら話せるようにさせているのだろう。「みんなのために」という素朴な言葉を我々はいつごろから忘れてしまったのだろうか。川合氏の独自の技術や発明は、ポルシェ博士と同じく普遍性を伴いながら「みんなのため」へ昇華されていった。しかし、我々は「川合健二」の名前を知らない。新しい提案である水素エンジンの開発も、機能があまりにも完全で、嘘がないためビジネスにならず、世の中が認めたがらないという。川合氏自身の存在や提案は、ほとんど日本のマスメディアに取り上げられることはない。思い出したように時折、氏の弟子と自ら名乗る石山修武氏(建築家/早稲田大学教授)の書かれるコラムや書籍の中に登場するだけだ。
そうか! あの家には,そういう方が住んでいたのか!
新たなる発見をいたしました。
投稿情報: 小ト短調 | 2004-12-04 03:44
又、栗田さんの川合健二の話が読めてうれしいです。
使い回され、使い捨てられた川合健二を「復権」させ、きちんと歴史上の正当な位置に置くことは僕らの役割のように思います。栗田さんの再訪を、川合健二は心待ちしていると思います。
投稿情報: AKi | 2004-12-05 04:38
川合健二のセルフビルドを検証する際、またお知恵を貸してくださいね。
再訪のときはみんなでツアー組みましょう!
投稿情報: 栗田伸一 | 2004-12-05 12:59
門外漢の私ですが、さすがに川合健二氏のお名前だけは知っていました。が、こんな方だったとは…。唖然としてしまいます。秋山さんのサイトで、写真も見せていただきました。なんだか胸がドキドキします。できることなら、長い時間をかけて写真を撮り続けてみたいものです。とにかく、すごいですね。
投稿情報: masa | 2004-12-05 16:02
masaさんのような方に孤高な鉄の家を撮影していただいたら、また新しい発見をしていただけると思います。
何回見ても見ている人間に何かを訴える「存在する力」を感じます。
投稿情報: 栗田伸一 | 2004-12-05 20:58
栗田さん、ここにコメント書いてるんじゃなくて、既に現地に飛んでいない自分を歯がゆくさえ思います。この存在物は、どなたかが、大型カメラで通い詰めて撮影する対象ですね。この物体、臓器に響いてくるような凄さを感じます。
投稿情報: masa | 2004-12-06 02:28
土に還る車、という現象が
あのコルゲートパイプと共鳴しているような
不思議な詩的な空間を感じました。
僕もぜひこの目でみて体験してみたいです。
投稿情報: fuRu | 2004-12-08 16:34
恐れ入ります。
一度この家を見てみたいのですが、住所はご存知でしょうか?
もしよろしければ教えてください。
よろしくお願いします。
投稿情報: tomary | 2006-06-07 23:26
tomaryさん、コメントをありがとうございます。
川合さんの自邸に関しては、現在、訪問者に対応できる状況にないということで、ご紹介することができません。
投稿情報: 栗田伸一 | 2006-06-08 09:11