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2005-05-12

コメント

川合健二という人物について、僕らは石山修武を通して知った世代です。
栗田さんもおっしゃっているように、
石山から見た川合は彼の自邸に偏重した姿になってしまっているのでしょう。
栗田さんの川合健二論はそれだけで、僕にとっては新鮮です。

1964年のころから健二氏を知る一人の庶民です。

ハニカムハウスが建ったばかりの頃、よく農機具を買っていただきました。
当初、私は一流の設計技師である事を知らず、
変わった「オッサン」としてお付き合いが始まりました。
「屋敷は一人2反!」が氏のポリシーでした。
ここは海も見えるので、自給自足が可能だ・・・と
あれから35年。
農機具を通じて食の世界に関連して生きてきましたが、やっと氏の考えが理解できる様になりました。

エピソードの尽きない人ですが、私が強烈に印象を受けたのはその徹底ぶりです。
1960年代、(まだ一般家庭にはカラーテレビがやっとの頃です。)
かの屋敷は、メカ屋の私にとって「龍宮城」でした。
観音開きの冷凍冷蔵庫・全自動水栓の洗面器・電磁調理器? 
停電に備えての「自家発電機」(これがないと安心して海外にいけない?)
今も残るH鋼のアーチは発電機を下ろすチエンブロックを取り付ける為。
私たちが現地で作ったものです。

今もケヤキのつづらがあるのかなあ・・・・
丸窓の話を聞きながら、紫檀のテーブルでお茶をよばれました。
奥様はご健在かな?当時の健二氏の面影が浮かびます。

yanbouさん、はじめまして。
貴重な思い出をお知らせいただき、ありがとうございました。
庭に残るH鋼のアーチは私も覚えています。
私が初めて訪れた時は、すでに全ての機械が止まり始めていたので、
動いているのを見ることができたのは屋根の上のスプリンクラーくらいでした。
散布された水で室内が涼しくなったことを思い出します。

いろいろな方が川合さんと出会い、それぞれ素敵な気持ちを持つことができました。
川合さんの存在は、個人の可能性をどこまでも拡げてくれる希望を抱かせてくれました。
奥さまは今でもあの家をお一人で守っています。
久しぶりに訪問されたらいかがでしょうか。
きっと喜ばれると思います。

yanbouあてに、早速のコメントありがとうございます。
栗田氏の本職が何なのかも知らず、懐かしさのあまりつい投稿してしまいました。

ケヤキの「つづら」は「長持」の誤りです。
お詫びして訂正いたします。
近くに住んでいますので、近々訪問してみます。

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