2012年1 月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のコメント

最近のトラックバック

Powered by Typepad

« とうもろこしのひげ | メイン | 蒙古斑革命 »

2005-07-01

コメント

musical batonの起源とmeme。
TBしていただいて
気になって調べたら「はてな」にいろいろな情報が集まっていました。
自己増殖、みたいなイメージもあるみたいですね。
このmemeという概念ですが僕も、とても気になりました。
また読みたい本が増えましたね。

書き忘れました。
参考までに「はてな」のアドレスはこちらです。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/Musical%20Baton

fuRuさんをはじめ、みなさんはすでにご存知なのかと思っていました。
akiさんとはMemeについて、お互いの認識レベルを確認したのですが、いつものメンバーがその気になってMemeを意識しはじめると、またいろいろなことが発見できそうです。
「はてな」のサイト、参照しておきます。

はじめまして、「ミーム学ブログ」のmjです。トラックバックありがとうございました。興味深いブログにトラックバックをいただいてとてもうれしく思っています。

ミームの説明として一番お勧めなのは、ミームの概念を作った本人、ドーキンスによる「利己的な遺伝子」です。全体的に面白い本ですが、ミームの概念についての説明は20ページしかありません(11章)。刺激的ですが、立ち読みでもいける程の短さです。ブロディによる「ミーム」は、ミームの持つ一面に特にスポットを当てたものと感じます。

ミームの概念は、例えばこのような時に使えます。

・「脳の中で情報は図書館的に扱われるのでは無く、例えばハイパーテクスト的に扱われている」、という様な事を理解する時に役に立ちます。

・「感覚を重視したマッキントッシュのようなコンピュータは、情報を扱うのにふさわしい」(比較的に。)、という事を説明する時に使えます。(脳の中での情報の振る舞いは本来自由気ままで、それを「これがコンピュータだ」「コンピュータを扱うにはこの方式に従え」と特定の強い縛りをユーザーに強いる道具で扱うのには無理がある)

・「”間取り”で区切られるという伝統的な日本の家のイメージは、歴史と建設業界が作ったミーム(簡単に言えばイメージ)に過ぎず、絶対的なものではない。業界が与える”家ミーム”(家についての様々な概念)は、我々にとって必要だから、有益だから常識になっているのではなく、ただ単にミームとしての繁殖(多くの脳に広まる事)に成功したから残っているだけである。」というような事を説明するときに使えます。

ミームの概念は、不適応症状を起こしている古い概念、あるいは、急速に広まる危険なアイディアによる固定概念から、人を解放しようとする時に特に力を発揮すると私は考えています。

「ミーム博覧会」でご友人のストーン氏の音楽を聞かせていただきました。多少シニカルな印象を持ちました。興味深い演奏でした。音楽祭が同時に開かれるというのは私も驚きましたが、主催者の性格によるものでしょう。ミームに興味をお持ちになるのは、割とハイテックな方が多い様に思います。

mjさんのコメントを読ませていただいて
ますますmemeに心引かれています。
最近、オースターのインタビューを読んでいて
おとぎ話を語ることについて考えていました。
おとぎ話とは、語り手が詳細に描写するのではなく
聞き手に物語の細部をイメージさせることによってなりたっている。
つまりは、物語のmemeというものが大切になってきます。
僕は、これを住宅を設計するアプローチとして取り入れてゆきたいと考えているのです。
空間のmemeとか 家のmemeを
設計という行為から探るということでしょうか。
これについて語るには、もっと孰考が必要ですね。

mjさん、たいへんわかりやすい内容でMeme初心者にコメントしていただき、感謝いたします。
このブログの他のエントリーをリサーチしていただいたようで、恐縮です。
認知学の世界でもミームの研究がはじまっているようですが、かつてLOGOのワークショップやユーザズグループを運営していた時代、認知心理学の研究をされていた佐伯先生や三宅先生、それに教育工学の分野で活躍されていた富山大の山西先生などと楽しい実験やワークショップを共に過ごしたことがあります。
おっしゃるようにこのブログとつながりのあるみなさんは、「割とハイテックな方」がMacintoshやLEGOやメカノやBe-h@usで「つながる不思議」を体験してきた友人が多いのです。
シニカルな楽曲を披露したカールは、まだミームを完璧に理解しきれていないのか、それとも「ここ一発」も啓示が舞い降りなかったのでしょう。
これから、mjさんの他のエントリーをゆっくり拝見します。

fuRuさま。

1つの物語りはミーム(文化遺伝子)の集合体です。そこに書かれた全てが読者に伝わるのではなく、その中の強いミーム(イメージさせられる細部)だけが読者の脳に残ります。紹介していただいたオースター氏の言葉は、そんな物語りの伝わり方の本質(ミームとしての振る舞い方)を端的に述べていると感じます。オースター氏はきっと優れたミームの作り手なのでしょう。

しかしミームは、良い作者にコントロールされて生み出された物ばかりではありません。憶測ではありますが、建築の世界で古い(古典的・では無く昭和的)方法にこだわる方の根拠を掘り下げると、「ずっとこうしてきたからこれがいいんだ」という場合が多いのではないでしょうか。これでは、「良いから良いんだ」というトートロジーになってしまい議論が成立しません。ですから、「ずっと残っているからといって、それが良いという事が保証される訳では全く無い」というミームの視点を持っていると、戦略が立てやすいのではと思います。人は無意識にミームに支配されるのが普通で、トートロジーに陥るのはある意味仕方がありません。しかしこのように既成概念で縛られて仕事をする事と、fuRuさまが取り組んでおられる「住まい手の生活を「家」というかたちに翻訳する作業」とは、全く違う作業になってしまいます。この違いを乗り越える為に、ミームの概念が少しでも助けになるといいなと願っています。

生活の物語性を重視し家を設計されるというアプローチはとても素敵だと思います。

栗田真一さま。
どのような方がミームに惹かれるのか興味があるので、色々読ませていただきました。やはり「ハイテックな方」(変な表現でしたね、改めて見ると)が多いですか…。ミーム研究で恐らく日本で一番権威がある学者・佐倉統氏も、東京大学大学院情報学環・助教授でいらっしゃいますし、先の「ミーム博覧会シンポジウム@名古屋能楽堂」で佐倉氏以外にパネリストを努めた方もハイテック。他にミームに興味をお持ちの方々で目立つのは、今回唯一ハイテックでは無いパネリストの河田氏のように、企業研究をされている方々です。「企業遺伝子」という言葉もありますし、「HONDA DNA」や「美と知のミーム、資生堂」などのコンセプトにも応用されているようです。この分野もどちらかというとハイテックというか、最先端系。

私は比較的ローテックでミクロな教育という場面にミームを応用しようとしている小数派です。私のHPで特にミームに関係があるのはブログのカテゴリ「ミーム・ミーム学について 」と、私の古いミーム専門サイト
「ミーム学入門」 http://www.geocities.co.jp/memejapan/ です。こちらでは情報化社会の到来とミームの概念の必要性についてハイパーテクストなどを例に出しながら書いています。その筋の方々には突っ込みどころも多い稚拙なHPだと思いますがお時間の空いた時などに見ていただけたら幸いです。

認知心理学の分野の方にとってミームは、新しい知識ではないけれど、「すでに知られている事を効果的に表現する手段」として使える、という捉え方をされるのではと想像しています。

栗田伸一さま。
先のエントリでお名前の字が違っていました。大変失礼いたしました。

カール氏の演奏は、恐らくミームの変容をテーマにしたもので、理解は十分にされていると感じられました。シニカルというのは、私の個人的な印象ですので、誤解を与えてしまったらすみません。

いつのまにか、meme が盛り上がってきましたね。勉強させていただきます。

私の中ではジャズ→山下洋輔→日高敏隆→ドーキンス→ミーム、と連鎖してますが、5年前に買った上下二巻、未だ読破してません。
まぁ、ユーザーズグループなんてことしてたのも文化的遺伝子のなせることだと、、、

ブログが普及してきたこの時期にミームを知ったのはよかったと思っています。
AKiさん、iGaさん、そして私に共通する文化的遺伝子はユーザーズグループをつくることですね。
Be-h@usは今日、記念日として記憶される新たな始まりの日になろうとしています。
新しいミームが生まれるのを楽しみにしています、AKiさん。

AKiさま。はじめまして。ミーム関連のブログ管理人のmjと申します。

私たちは、特に今の子どもたちは既製品に囲まれています。既製品は、行為の本質と、人とを切り離してしまうと考えています。例えば、「防災袋」という既製品のパッケージは、本来人それぞれ違うはずの「避難に備える方法」を、「防災袋」というパッケージに昇華させる事で、本人の介入を不要のものにしています。こうなったのは、日本の社会に「防災の備え」=「防災袋を一家に1つ」というミームが広まっているからです。

たまたまテレビの再放送で、藤森教授の建築を見ました。私は建築にはしろうとですが、藤森教授の手法は、パッケージ商品による「家=既製品」というミームを打ち崩し、家を造るという行為に人を呼び戻すものだと感じました。既製品に囲まれ過ぎると、人は行為に介入する経験を積み重ねる事ができません。その楽しさも味わう事ができない。もったいない事です。藤森氏の手法では、自分が何をしたくて、何を求めているのかを考え、実現する力が育つだろうなと思い、おもしろく番組を拝見いたしました。

iGaさま。

はじめまして。へたれマックユーザーのmjと申します。日高氏つながりでしたら、もうお読みになったかもしれませんが日高氏が訳者の一人である、ドーキンス著「利己的な遺伝子」がお勧めです。ミームの提唱者ドーキンスの文章は、大変刺激的で面白いです。むりやり例えるならば、養老孟司氏を過激にした感じでしょうか。同じくドーキンスによる「悪魔に仕える牧師」もお勧めです。宗教や(3章)や、占い(1章)などを盲信させるミームを手厳しく批判しています。

ミームにはいいものも悪いものもあります。ドーキンスは著書で有害なミームを批判していますが、マッド・アマノ氏や、マイケル・ムーア氏も、独自の方法で有害なミームを批判していると言えると思います。ムーア氏の手法は、常識になっているものや、支配力を持つミームを検証し、有害なミームの支配から観客を脱却させようとします。例えば「コロンバイン事件=マリリン・マンソンが原因」という、誤解に満ち真実から目を背けさせてしまうミームに対して、「コロンバイン事件=ボウリングが原因?」というミームをぶつける事によって客観視させます。このようなミームを私はアンチウイルスとしてのカウンターミームと呼んでいます。(ブラックモア氏はDisinfectant memeと呼んでいます。)有害なミームは、体やコンピュータを破壊する有害なウイルスに似た振る舞いを見せるからです。「ボーリング・フォー・コロンバイン」をはじめ、ムーア氏の作品は、このようなカウンターミームの複合体で構成されています。

人の自由や幸せを阻害するものを何とかしたいと思う時、そこにどんなミームが根付いているかを検証し、そのミームにどんなカウンターミームが有効かを考えるという作業が、効果的な対策を練る大きな助けになると考えています。

へたれマックユーザーの私は、ユーザーズグループの存在を今回始めて教えられました。マックユーザーの愛が深いのは、マックの持つミーム「易しい・かわいい・かっこいい・フレンドリー」の奥に、豊かな思想のミームがあふれているからではないかと想像しています。

この記事へのコメントは終了しました。