優秀な一人息子を戦争でなくし、夫婦二人で細々と営んでいた店だが、その箱物の細工は、子どもの私がみても温かくて輝いていた。
母がいつ手に入れたのか忘れたが、おじさんが作ってくれた麦わら細工の箱を大事に使っていたのをおぼえている。その箱はいまどこにあるのか知らないのだ
が、もう1度見たいと最近思う。そうやって町の人は何かの記念にと、おじさんに作ってもらった麦わら細工の箱をみな持っていた。
立ち寄ると必ずおじさんがやっていたのが、続飯(そっくい)というご飯粒でつくる糊を作る作業だ。水とご飯粒を練り上げた糊で貼った麦わらは、何十年も剥がれることがない。
中学生になったころ、おじさんが亡くなり、店先をのぞく楽しみはなくなった。
今でも修善寺には麦わら細工のみやげものを作っている方がいるようだが、おじさんとはまったく関係のない細工師だ。
後から気になって調べてみたのだが、麦わら細工は江戸時代の中頃、東京の大森と兵庫県城崎町の2カ所で作られるようになったそうだ。
それがどんな経緯で伊豆の温泉町に飛び火したのか、もう聞き出すことができる人がいない。ネットで検索してみつかった「江戸麦わら細工」のページにある箱。素朴なアップリケのように染色された図柄、その麦わらの光沢がやけに懐かしくみえた。
最初の写真はその当時、おじさんが店先から毎日眺めていただろう修善寺桂川の風景。道はまだ未舗装で、川沿いに桜の木があった。
最後の写真は、私が持っている唯一の麦わら屋のおじさんの写真。向かって手前右がおじさんだ。左には私を含め父、母方の祖父、曾祖父さんと4代が一緒の写真もこれ一枚しかない。
城崎はうちから近かった(車で40分ぐらい)ので、良く行きました。
この麦わら細工、とってもレトロで懐かしい小物なので、いくつか買って持っています。
どこにでもある物だと思っていたのに、城崎と、東京の大森で作られるようになったなんて、知りませんでした。
城崎もひなびた古い温泉町なので、伊豆には、温泉繋がりで、お土産物として置くのに丁度いいんで、伝わったんじゃないかなぁ。
投稿情報: こーこ | 2007-03-02 02:46
こーこさん、コメントどうも。
前のお住まいが城崎に近かったのですね。気がつきませんでした。
温泉場つながりの手作りみやげなのでしょうね。
子ども心に手が何かを作り出す見事さに魅了されていたのです。
そういえば麦わらのストローもありましたね。
思い出しました。
投稿情報: 栗田 | 2007-03-03 15:27