勝手な想像だが、夕景にシルエットをおとす裸の柿の木に、ミステリー小説のワンシーンをイメージしてしまう。それは、これまで私が見てきた幹の高い一般的な柿の木とはまったく違うからだ。
冬から春へ、佐渡の柿畑は柿の枝の剪定に忙しい。
時間をかけて剪定された、この不思議な柿の木の形には、当然だが、柿の実の収量を優先し、収穫しやすい安全性確保という人間側の都合がある。
2005年に、青葉に青い柿の実が付いた状態の「柿畑」を紹介したエントリーがあった。あれは夏の写真で、じつに長閑である。冬にこの裸の柿の木を目にして、その印象は一変した。
剪定されて完成する幹の低いプロの柿の木を「変則主幹形」の低樹高形と呼ぶらしい。柿は「結果母枝」といって、去年の芽から枝が伸び、その新しい枝に花芽が付くのだそうだ。花芽と葉になる芽の区別が難しい。だから、畑によって大胆な剪定であったり、繊細だったりと個性的でもある。
人間が造りだした柿の樹形、そのエゴイスティックなアルゴリズムに自分の感覚が違和感を覚える。たぶん、この先も見慣れることはないだろう。
自宅の柿の木も、秋の収穫を考えると剪定したいのですが、要領が分かりませんね。
飛行場や自宅の周辺で見る桑畑の桑の木も幹は高さ1メートル程のものです、そこから枝が伸びて
養蚕に使う桑の葉が実る(?)のですが、飛行場周辺には剪定されない育ちっぱなしの桑の木が
沢山有ります、桑畑で知っている桑の木とは全く違う普通の大きな木になってしまっています、
これが桑の木かと思うのですが、桑畑の桑の木のほうが不自然なのですね。
同様に自宅近くの越生町には梅林が有りますが、やはり収穫優先の低木に仕上げられています。
投稿情報: suga | 2010-02-26 19:22
今更ながら、先人たちが自然をうまく利用して、生活を営んできたことに感心する毎日です。
ご指摘の通り、気がつけば柿も、桑も、梅も、人間の手が入った形に馴れていました。しかし、一方では休耕田も増え、手が入らなくなった野放図な木々が、里山の景色を乱しています。それも時代だと、勝手に写真の題材にするもよし。テーマはいろいろあるのだと学んでいます。
夕景の急速に光が変化する状況での撮影は、飛行機同様に訓練が必要であることも今回学びました。またいろいろご指導ください。
投稿情報: KURITA | 2010-02-26 19:55