コンピュータ言語 Lispの創案者としてジョン・マッカーシーの名前を知ったのは、Apple IIeで動くLispを使うようになってからだった。
同時期、MITのパパート博士が開発した子供たちのためのグラフィック言語Logoを使い始めていたので、数年続けて毎夏にMITのメディアラボを訪ねたことがある。プライベートな研究テーマでパパート博士の研究室にも出入りを許可され、その時の資料をコピーしようと借りたコピー機はアラン・ケイの研究室にあったりした。
ジョン・マッカーシーが1962年にスタンフォード大学に移るまで、AI(人工知能)の研究を共にしていたマーヴィン・ミンスキーにもパパート博士が親しかったこともあり、1度だけお会いしたことがある。
彼らが共にAIの研究をしていたころの話は、ミンスキーが執筆した著書「心の社会」のあとがきと謝辞に詳しく書かれていた。
残念ながらジョン・マッカーシーに会うことはできなかったが、あのとき、Macの開発機をボストンで見ることができたことは、いい思い出になった。
関連サイト
・wikipedia ジョン・マッカーシー
C言語およびUNIXの開発者デニス・リッチー博士も2011年10月12日に亡くなっています。
コンピュータ界の巨人がだんだんいなくなりますね、さみしいことです。
投稿情報: 須田 | 2011-11-22 14:52
共に働いていたプログラマーが手にしていた「C言語プログラミング」の本。後ろから覗き見たことはあっても、自分で使ったことのないジャンルでした。しかし、UNIXが研究者たちにもたらした環境はすばらしく、そこからインターネットが誕生していることを考えると感慨無量です。
Dennis MacAlistair Ritchie博士のご冥福を祈ります。
投稿情報: 栗田 | 2011-11-22 16:23