自己紹介 代表 栗田伸一
■50の手習い
まさに団塊の世代として、自らの楽しみのために人生を謳歌し、若いころからの夢をいつか叶えたいと想いを巡らしてきました。
伊豆の山間部で育ったため、広い場所でゴム動力の模型飛行機をとばしたことは数回しかなく、そのほとんどは小学校の校庭でした。
持てる時間の全てをデザインと音楽に費やしていた青春時代は、その時代の若者がみな体験していた車の運転やスポーツなどは未経験のまま過ぎ去っていきました。
飛行機への本格的な思いは、上京して知り合った音楽仲間が小学校から変わらずに使っていた彼の子供部屋から始まったのです。とても本物の飛行機とは思えないデフォルメされたプラモデルの飛行機「Gee Bee」が本物のエアーレーサー機であったことを知ったのは、それからしばらくして本屋で立ち読みした月刊誌「航空ジャーナル」だった。航空写真家の瀬尾さんが撮っていた「Gee Bee Z」。1930年代にアールデコやバウハウスの影響を受けた若いデザイナーが設計した不思議な格好の機体に魅了されていきました。
非現実的なエアーレーサー機から始まった飛行機への憧れは、軍用機などには向かずに、ひたすら他のレース機や記録機に向いていったのです。でも決して模型飛行機を飛ばしたいとは思わず、プラモデルをコレクションし、資料の洋書を漁っていました。何も飛ばさない飛行機クラブをつくったのもこのころで、「航空ジャーナル」の読者コーナーで呼びかけて知り合った飯野氏(現在、都立産業技術高等専門学校 [旧都立航空工業高等専門学校] 教師)と近所の仲間数人でエアーレーサーをテーマにグラフィティしていたのです。25 年間に作ったのは初期のニューズレターと今でも時々作るTシャツだけでした。
40代に入り念願だった車の免許を取った。同年代の車体験者から遅れること20年。40代の手習いは「車」をテーマに10年続き、50歳になりました。「50 代は飛行機だ!!」と心に決め、老眼の進行が加速し始めた両眼を駆使して、1年目はゴム動力のピーナッツ機にチャレンジ。「庄内ピーナッツ」の会員になり、スケール機の奥の深さとゴムのコントロールの難しさを痛感したのでした。30〜40年近くやり続けている諸先輩の足下にも及ばない。あたりまえです。しかし、若いころのような「工作する手」を少しとりもどしつつ、今を感じることができるジャンルの模型飛行機を探していきました。
スローフライへのきっかけをつくってくれたのは1999年の「RC AIRWORLD」誌に掲載されていたWES社のコリブリとリトルビーでした。カーボンロッドと小さなメカで構成された機体は、自分にとってハイテクな「今」を感じることができる模型飛行機だったのです。
Gee Bee Club大江氏と自作のZ
(第6回ジャパンカップ参加)
■スズキメソッド
具体的なアクションへの弾みをつくってくれたのは、2001年の1月に訪問した「湘南スローフライヤー」のインドアの飛行会でした。田中さんの主催する「toko's HomePage」をインターネットでみつけ、スケジュールにあった月に1度開催されている飛行会を知りました。
憧れの機体が体育館を舞っていました。この飛行会の常連で、いつもユニークなオリジナルの機体を製作して、フライトさせている鈴木さんに初めて会ったのはこのときでした。直感的な感なのか、鈴木さんに師事してRCのスローフライを学びたいと思ったのです。無謀で誠に迷惑なリクエストであることは本人が一番わかっていたのですが、このチャンスにかけるしかないとも感じました。田中さんに紹介していただき、メールによるコミュニケーションが始まったのです。(写真:鈴木氏)
後にその教え方を「スズキメソッド※」と名付けた友人の岩本氏と共に、4ヶ月間の実践学習がインターネットのメールを使って始まりました。教えることを天職にしている教師でない限り、何も知らない初心者を相手に指導するのは楽しいことではありません。スズキメソッドは一般的な「指導」とは違い、昔の職人の師匠と弟子の関係に近いのです。教師のように親切に教えるのではなく、師匠のやることを見せてあげるから自分で理解して、わからないことがあれば質問しなさいというスタンスです。
※「鈴木ヴァイオリン」の練習方法で、楽譜を用いず、耳から入った音をひたすら再現することから始める。世界的に有名な教育方法として認知されている。
毎回送られてくるのは、長さの目安になる定規と共に各パーツが撮影された製作途中の写真が数点と簡単なメモだけ。その写真から、弟子は自分の経験や知識をフル稼働して同じ機体を作らなければなりません。図面はなく、その都度、自分のために覚え描きのようなドローイングを描きました。
完成後、岩本氏が「スージー1号」と名付けたスローフライの入門機の製作プロセスは、ある程度わかりやすくまとめてPDFデータなどを公開したのです。我々も師匠の教えを守り、必要以上に親切な解説をするつもりはありません。情熱があれば不器用でも自ら問題をみつけ、どんな方法でもいいから解決させることができれば、誰にでも「スージー1号」は飛ぶはずなのです。材料集めやメカパーツの購入と、簡単には入手できないものが多いため、パソコンを使い、インターネットを理解し、時には英語も駆使して、外国からパーツを購入しなければならないこともあります。それを苦痛に感じるのではなく楽しんでください。それができれば、まさに「今」を堪能できる模型飛行機の世界に没頭することができます。何十年もの模型キャリアのあるベテランたちも、この部分に関しては、スタートラインは同じなのです。
■月一飛行会の開催
こうして、4ヶ月後の2001年5月に「第1回横田スローフライヤー飛行会」の開催に漕ぎ着けたのです。
現在(2009年時点)では、不定期ながら月に1度くらいのペースで飛行会を開いているインドア飛行機クラブは増えてきました。詳細は次のリンク先をご覧下さい。
YSFCは、日本では2番目に定期飛行会を開催するインドアスローフライクラブとして2001年より活動を続けてきました。
■週一練習飛行会の開催
2006年からは、月一の飛行会では操縦練習の時間が不足だということで、週に一回のペースで練習飛行会を開くようになりました。2007年2月には、インドア・アクロ機を専門に活動しているTEAM QUADRA代表の須田さんとの出会から、週一練習飛行会は本格的なF3P競技会のフライトスケジュールを対象にした練習飛行会になっていきました。
Hi-
Michael Richter and I have succeeded in a new slope aerobatics trick! We call it the Rudder Flip
http://vimeo.com/41535908
http://vimeo.com/41535334
Best regards,
Steve 'surfimp' Lange
投稿情報: surfimp | 2012/05/04 15:17